枝川・塩浜の歴史

枝川および塩浜は、東京江東区の臨海部エリアにあり、発展が著しい豊洲の東、東陽町の南、潮見の北に位置した運河に囲まれたまちです。

1900年代、当時の東京市によって枝川・塩浜は、近隣地域の豊洲とともに埋立地として造成されました。

ちなみに枝川の造成完成は1928年で、まちが作られたが1929年ですので、そろそろ100年になります。

枝川、塩浜は、造営完成当時から多くの朝鮮の人が住み、コリアンタウンとして知られる中、準工業地域として多くの倉庫や工場が建っていました。その後、臨海地域の開発によって1980年代に豊洲と辰巳に有楽町線、そして、1990年には潮見に京葉線など、近隣地域に駅が開通、特に2000年代に入ってからは豊洲の急激な発展もあり、その影響で枝川や塩浜にも多くの人が移り住むようになってきました。

とはいえ、枝川や塩浜はともにそれらの駅から離れていたこともあり、大きく発展!とまではいかず、昔の面影を残す比較的静かなまちでした。

そんな中、かねてから江東区を中心に活動してきた豊洲~住吉間の有楽町線の延伸計画。2022年に東京都を通じて、国土交通省より事業認可が下りたことで、計画内にあった枝川にも新駅がつくられることが決定したのです。

2030年代半ばの開業を目指し、東京地下鉄(東京メトロ)によって工事が始まっています。

枝川・塩浜は将来性のあるまちとして注目されています。

© Google Earth
まちの動き
1922年枝川改修工事第1・2号埋立地(現在の塩浜の一部)が当時の深川区に浜園町、塩崎町として編入される
1929年枝川改修工事第4・5号埋立地(現在の枝川)が当時の深川区に枝川1~2丁目として編入される
1930年枝川改修工事第7号埋立地(現在の豊洲1・2丁目の一部)が当時の深川区に編入される
1941年朝鮮人集合住宅の建設
1946年枝川に朝鮮学校(東京朝鮮第2初級学校)が開校
1947年東京都区部が23区に再編、深川区と城東区が統合し江東区になる
1953年都営バス・新橋~木場三丁目間開設(現在の新橋~スカイツリーを結ぶ業10系統)
1960年区立枝川小学校開校
1968年枝川改修工事第8号埋立地(現在の潮見)が江東区に編入
枝川2丁目が三つ目通りを境に枝川2丁目、枝川3丁目に名称変更
浜園町、潮崎町が塩浜1丁目、塩浜2丁目に名称変更
1980年首都高速深川線(箱崎~辰巳間)開通
1988年東京メトロ有楽町線の駅が豊洲・辰巳で開業
1990年JR東日本京葉線の駅が潮見で開業
1998年汐見運河にしおかぜ橋開通
2005年江東区のコミュニティバス「しおかぜ」が潮見駅を起点に木場・辰巳方面へそれぞれ運航開始
2018年都営バス・東陽町~豊洲間を結ぶ陽12系統開設
2024年江東区のコミュニティバス「しおかぜ」が潮見駅~豊洲駅方面に運航開始
2030年代半ば~有楽町線延伸により枝川に新駅開業(予定)

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